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静岡地方裁判所 昭和42年(行ウ)9号 判決

中華民国台湾省台北市新生南路三段十一巷二号

原告

池田昭陽

右訴訟代理人弁護士

小出耀星

被告

右代表者

法務大臣

小林武治

右指定代理人

野崎悦宏

鈴木智旦

佐藤弘二

長沢甲子夫

天池武文

竹内雄也

右当事者間の過納税額還付請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

別紙要約調書記載のとおり。

理由

一、原告主張の請求原因一ないし四の事実は、すべて当事者間に争いがない。

二、原告の主張は要するに、(1)原告は通常の非居住者と異る特殊事情があり、むしろ居住者とひとしく取扱われるべき理由があるので、原告の本件恩給所得については居住者の場合に認められる基礎控除、扶養控除、配偶者控除がなされるべきであり、仮にそれらの控除が認められないとしても、非居住者に対する税率である一〇〇分の二〇の税率が適用されるべきではなく、居住者の恩給受給者に対すると同様な税率が適用されるべきであること、(2)昭和二一年三月から昭和三四年四月までの期間に対応する恩給額金九四二、三七〇円については、その支払がなされた昭和三九年五月当時には、被告の徴税権は既に時効により消滅していたので、この分についてなされた源泉徴収は右の理由によつても違法であること、以上の二点に尽きるものと解せられる。

三、そこで右(1)の点について考える。

恩給を受ける権利は、恩給局長の裁定を待つてはじめて具体的な請求権として確定され、支給を受けられるようになる(恩給法第一二条)。原告の受けるべき恩給については、前記争いのない事実によれば、昭和二一年度以降の分が一括して昭和三九年四月一八日に裁定を受け、同年五月一三日に昭和二一年三月から昭和三九年三月までの恩給(一、六九八、六一一円)が支払われた。したがつてその裁定・支払の時に右恩給について国の課税権(所得税)が生じ、支給される全額がその課税対象となると解される。そしてその頃原告が所得税法にいう非居住者であることは明らかである。そうすると、原告に対し右一、六九八、六一一円の全額について一〇〇分の二〇の税率による源泉徴収をし、かつ所得税法所定の基礎控除、扶養控除、配偶者控除をしなかつたのは、税法の定めに従つてなされた適法な措置である。その後の支給分についてなされた源泉徴収も同様に適法である。

原告は台湾に渡つてそこに居住していることについて種々の事情を述べ、また次男が日本に留学していることをもいうのであるが、だからといつて原告が非居住者でなくなるわけではなく、非居住者に適用される一〇〇分の二〇の税率を適用するのが違法となるものでもなく、また上記控除をすべきであるということになるわけでもない。まして憲法第一四条にいう法の下の平等に反するともいえない。

四、次に原告の(2)の主張について考えると、前記のとおり原告に対する昭和二一年三月から昭和三四年四月までの分の恩給は昭和三九年五月一三日に支払われたのであるから、その支払分についての所得税の源泉徴収による納期限は同年六月一〇日である。したがつて右所得税徴収権の消滅時効は同年六月一一日から進行する。ところが、右所得税がその頃既に納付されたことは弁論の全趣旨によつて明らかである。

五、以上のとおり、原告の恩給に対する所得税の源泉徴収には、原告のいうような違法はなく、したがつて本件恩給所得について違法な源泉徴収が行われたことを前提とする原告の本訴請求は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 水上東作 裁判官 山田真也 裁判官 三上英昭)

要約調書

第一 請求の趣旨

被告は原告に対し金四六九、〇六五円を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

第二 請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第三 請求の原因

一、原告は昭和三年四月七日専売局書記兼大蔵属に任じられ、昭和二一年二月二日専売局理事の職を辞するまで、引続き大蔵省に勤務していた。

右退職後原告は当時日本の領土であつた台湾へ渡航し、現在に至るまで、そこに居住している。

二、昭和三八年に至り、原告は総理府恩給局に原告の恩給裁定を申請したところ、恩給局長は昭和三九年四月一八日、次のような裁定をした。

支給期間 年額

昭和二一年 三月~二三年 九月 一、七三四円

二三年一〇月~二四年一二月 一六、八〇〇円

二五年 一月~二五年一二月 三三、五九五円

二六年 一月~二六年 九月 四八、一六〇円

二六年一〇月~二七年一二月 六一、六〇〇円

二八年 一月~二八年 五月 七〇、五六〇円

二八年 六月~二八年 九月 一〇〇、八〇〇円

二八年一〇月~三八年 五月 一三八、〇〇〇円

三八年 六月~三九年 六月 一五五、三〇〇円

三九年 七月~ 一六九、八〇〇円

三、昭和三九年五月一三日、恩給の支給庁たる三島郵便局長は右裁定にもとずく昭和二一年三月から三九年三月までの恩給一、六九八、六一一円を原告に支払うに際し、原告を所得税法(昭和二二年法律第二七号)にいう非居住者(同法の施行地に住所を有し、又は一年以上居所を有する者に該当しない者)と認め、同法一条二項及び三項五号四一条一項にもとづいてその支払うべき金額に対し一〇〇分の二〇の税率を適用して算出した三三九、七二二円を所得税として源泉徴収し、その余を原告に支払つた。

四、その後昭和三九年四月から四二年一二月に至るまでの間の恩給支払に当つても、右郵便局長は同様の理由により一〇〇分の二〇の税率を適用して算出した所得税額合計金一二九、三四三円を源泉徴収した。

五、しかしながら前記のように原告を所得税法上の非居住者と認めて、本件恩給につき一〇〇分の二〇の税率を適用し、所得税法所定の基礎控除、扶養控除、配偶者控除をしなかつたことは、次の理由により違法であり、憲法一四条にも違背する不当な差別である。

すなわち原告は太平洋戦争の終結後、当時まだ法律上日本の領土であつた台湾に渡航したが、複雑な国際情勢のため、台湾から出ることができなくなり、その後昭和二八年日華平和条約の締結により、台湾は日本領でなくなつた。従つて原告は少くとも昭和二八年までは国内居住者であつたのであり、かつ条約成立後、自ら出国して非居住者になつた訳ではない。

そして右平和条約の締結後も、原告は台湾から出られない特別な事情にあり、日本に住みたくても住めないのである。

しかるところ、昭和三八年に至つて原告の次男朱耀源は留学生となつて日本に来、その後引続き在留して、現に三島市所在の国立遺伝学研究所内に継続して一年以上居住している。

通常の非居住者は法施行地に生活の本拠がなく、また法施行地において生計を一にする配偶者その他の親族を有しないから、日本国内に源泉がある所得を外国に送金することになるが本件恩給は原告と生計を一にする右朱耀源が三島郵便局長より支給を受け、法施行地における同人の生活費及び学費に充てているのであり、円を外貨に換えて外貨の流出をもたらす一般の非居住者の所得と同様に論ずべきではない。

これらの事情を考慮すれば本件恩給については一般の居住者の所得の場合と同様に取扱い、所得税法所定の諸控除を行うべきである。

そして前記二に掲げた原告の零細な恩給受領額に対し、配偶者控除、基礎控除等を行うときは、課税の対象となるものがなくなることが明らかである。

六、更にまた前記最初の源泉徴収がなされた昭和三九年五月当時には、原告が昭和二一年三月から三四年四月までに受けるべき恩給額金九四二、三七〇円については、被告の徴税権は当時の国税徴収法一七四条の規定にもとづき五年の時効期間経過により消滅していたものである。

もちろん税法の規定上は、恩給の裁定があつて前年分以前の期間に対応する年金恩給を一時に支払うこととなつた場合における当該恩給については、その裁定のあつた時収入すべき権利が確定するものとして取扱われるのが一般であるけれども、本件の場合においては原告がその郷里であつた台湾に渡航した後、台湾が日華平和条約により外国の領土となり、原告が自由意志で日本へ帰ることができなくなつたため、昭和三八年前記原告の次男朱耀源が日本に来るまで、恩給の裁定申請をする機会を得られなかつたという特別な事情により、十数年分の恩給を一時に裁定される結果を生じたもので、総理府恩給局は原告の右のような特別の事情を酌んで、原告の恩給請求権について恩給法所定の消滅時効の援用をしなかつたのである。

このように裁定の遅延が原告の責に帰すべからざる不可抗力によるものであること、この間に数回の調整が行われた結果、右裁定がなされた時までの一八年間の恩給総額は、裁定当時の恩給年額の一〇年分にすぎないこと、裁定後支給された恩給は、本来支給されるはずであつた時にくらべて、貨幣価値の下落により実質的に著しい減価を蒙つていることなどの事情を考慮すれば、支給時より五年遡つた時以前の恩給額について徴税権の時効消滅を認めるのが至当である。

七、以上述べたところにより、本件恩給の支給に際して、昭和三九年五月以来四二年一二月までの間に源泉徴収された金員合計四六九、〇六五円は、すべて違法に徴収されたものであり、被告はその金額を原告に返還すべき義務がある。

八、仮に前記の所得控除又は時効消滅についての主張が認められないとしても、原告を非居住者として課税したことは、やはり違法であり、本件恩給については居住者の恩給受給者と同様、恩給額の一〇〇分の一〇のみを源泉徴収すべきであるから、被告は少くとも前記一〇〇分の二〇の税率による徴収額の半分の金二三四、五三三円を原告に返還すべき義務がある。

第四 被告の答弁及び主張

一、原告の主張一ないし四の事実はいずれも認める。

原告の次男朱耀源が昭和三八年に留学生として日本にきたこと、同人が三島市所在の国立遺伝学研究所に継続して一年以上居住していることも認める。

原告が自由に台湾を去つて日本に戻ることができない特別な事情があるかどうかは知らない。その余の原告の主張はすべて争う。

二、原告は被告が原告を非居住者と認定して一〇〇分の二〇の税率を適用したことは不当な差別で違法であるというが、所得税法上、施行地とは本州、北海道、四国、九州及びその附属の島に限られ(昭和二二年法律第二七号附則二条)、この法律の施行地に住所を有し、又は一年以上居所を有する個人を居住者とする(所得税法一条一項)とされており、右に該当しない個人を非居住者とするところ、原告は昭和二一年以来台湾に妻子と共に居住し、職務を有し、かつ昭和二七年以降においても日本国内に居住したことがないから、明らかに非居住者に該当するものである。

原告の次男朱耀源が昭和三八年以来日本に留学し、日本に一年以上居住しているからと言つて、そのことによつて原告が居住者となるものではなく、また原告が台湾から出国できない特別の事情があるとしても、原告が非居住者であることに変りはない。

従つて本件源泉徴収は適法にされたものであり、もとより憲法違反等の問題は生じない。

三、原告は本件恩給のうち昭和三四年四月分以前に相当する部分については、源泉徴収当時徴税権が時効消滅していたと主張する。

しかし給与所得について収入すべき権利の確定する時期は、支給期の定められているものについてはその支給期により、支給期の定められていないものについてはその支給を受けたときと解すべきであるが、恩給を受ける権利は、恩給法一二条所定の裁定を待つて、はじめて具体的な請求権として確定され、その給付を求めることができる(東京高裁昭和三九年一月二九日判決、大阪高裁同三六年五月三〇日判決)。

しかも非居住者に対する給与所得については、支払をなす者が支払の時に、所定の所得税を源泉徴収すべきものと規定されている(所得税法四一条一項)。従つて本件恩給に対する源泉徴収義務者は三島郵便局長であつて原告ではない。

そして同局長に対する国税徴収権の消滅時効は、その所得税の法定納期限から進行する(旧国税徴収法一七四条、現行国税通則法七二条)。

ところで本件国税徴収権の法定納期限は旧所得税法四一条一項により、右三島郵便局長が本件恩給所得につき源泉徴収をした昭和三九年五月一三日の翌月一〇日に当る同年六月一〇日であるから、同日の翌日たる同月一一日から国税徴収権の消滅時効が進行するものと解するのが相当であるところ、同局長は既に右源泉徴収した所得税を被告に納付し、これにより右所得に対する国税徴収権は消滅した。従つて本件国税徴収権について消滅時効を考える余地はない。

第五 証拠

一、原告

甲第一ないし八号証、第九号証の一ないし二、第一〇号証の一ないし四、第一一ないし一九号証、第二〇号証の一、二、第二一号証の一、二を各提出。

乙第一号証の成立を認める。

二、被告

乙第一号証を提出。

甲号各証の成立を認める。

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